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深心とは、深く信ずることであり、

これは自己の信念を決然と確立し、

仏の教えに従って修行し、

それに対する疑惑や誤謬を永久に取り除き、

一切の自分と異なった別の教理を

了解している人、

別の教理を実践している人、

異なった思想、異なった学説、

異なった見解に執着をしている人たちのために

迷ってあともどりしたり、

動揺して傾いたりしないことである。

//(法然『選択本願念仏集』石上善応訳より)

 

どうも、哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。

ちょっとずつ週三回を目安に

哲学/宗教発信をしていきたいと思っております。

 

ぼくは本をよく読むので、

その本にあった良い言葉、

気になった言葉を選び、

それに注釈をつける形で

筆を進めたいと思います。

 

第一回は

鎌倉新仏教運動の最初に位置付けられるべき、

浄土宗の開祖法然の主著『選択本願念仏集』

のことばです。

 


あなたは深く信じることはありますか。

信じることとか、信仰とかいうと、

どうしても今の日本人は盲信や妄信を

思い、あまり良くないイメージがある

かもしれません。

 

深く信じることには必ずそういった

側面があるのは事実です。

 

でも、自分自身が深く信じること、

このことが事実、あなたの行動を決定します。

 

どういうことでしょう。

まず、あなたが常識を信じているとすれば、

常識にあなたの行動の決定を左右されます。

常識への迷信ゆえに導き出された行動が

ごまんとあります。

 

具体例を出しましょう。

「空気を読まないといけない」という常識。

空気を読まないと仲間外れにされる、

それゆえに空気を壊さないように

穏健に行動しよう。

だから、空気を読んで行動しようとするあまり、

一貫性のない行動を行いがちです。

 

このように、

信じていることはあなたの行動を決定します。

ですが、中途半端に常識などを信じていては、

ぼく自身がよくやってきたことですが、

一貫性のない行動を生みがちです。

 

だから、信じるということをより徹底させる、

それしかないのです。

深く信じていることは、

あなたの行動をゆるぎないものにします。

 

法然の「深心」ということばは、

このことを指しています。

 

キリスト教では

迷ってあともどりしたり、

動揺して傾いたりすることを

「よろめき」と表現します。

 

どうでもいい他人のことを思いすぎて、

自分のしたいことが行動できない、

言えない、発信できない、

そういったことが、

「よろめき」の状態です。

 

よろめきの状態を回避するには、

深心、深く信じることが必要になってきます。

 

本当の意味で、

自分が深く信じていることを

吟味しなおす機会をもつことは、

とても大事です。

 

この法然のことばは、

何も阿弥陀仏への帰依だけの意味で

捉えるべきではありません。

 

あなたが深く信じたことに

あなたは影響され、

あなたの行動まで決定されていること。

決めた以上は行動すること。

 

そうしたことの大事さを

教えてくれています。

 

あなたはどうでしょうか。

深く信じることに躊躇して、

よろめきの状態に陥っていないでしょうか。

 

何か気づいたことがあれば、

気軽にコメントくださいね。