どうも、草の根平和推進者 平高橋聡です。

私からあなたへのメッセージを哲学者イマヌエル・カントのことばをお借りしてお送りしましょう。

純粋理性批判〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
イマヌエル カント
光文社
2010-01-13

 

イマヌエル・カント『純粋理性批判』026 批判と学
//
だから理性についての<批判>は結局のところは、学にならざるをえない。
批判なしに理性を独断的に利用するならば、常に根拠のない主張に到達するのである。
そして、この根拠のない主張にたいしては、外見だけはもっともらしい別の主張を対立させることができるため、(理性の独断的な利用は)、いずれ懐疑論に至るのである。
//     光文社古典新訳文庫、中山元訳一部改変、2010年

ここでいう、<批判>とは何かを蹴落として行うものではありません。
<批判>とは、物事を完璧に吟味し、おかしいところを徹底的にそぎ落として、良いものを発見する行為です。この批判を理性に当てはめる訳です。理性とは、デカルトのいう「良識」のことです。
デカルトはその方法的懐疑、つまりすべてのものを疑うことで、究極の拠り所として考える主体である自我は否定できないことを示しました。しかし、デカルトは無前提に神と人間の「良識」を信頼してあったので、<良識=理性>の実態への批判はなされなかったのです。

学とはなんでしょうか。<学>とは究極的に問いを発し続けつつ、たえぬ問いを一旦止めて(判断停止)、自分なりのその問題に優れた価値判断をすることを厭わない点があります。でもその価値判断は現段階での回答です。

だから、カントはここで理性について学として、一旦批判してみましょうと言っているのです。

あなたは何事かについて悩んでいることがあるでしょう。
時に、あなたは解答を与えることが不可能だと思っている問題について悩んでいるでしょう。
でも、あなたのその問題を解決する日が必ずきます。

あなた自身が解決するのです。それは学と言っても、大学とか大学院で研究されているような問題だけではありません。

実際にあなたがその問題について考え、解答を提出し、行動することによってのみ、解決が可能です。

でも、絶えずあなたのその問題について吟味し考え続けてください。それが批判という作業です。

その作業をあなたが怠った時、あなたの考えは根拠のない主張して退けられ、そこからあなた自身が懐疑論を抱いてしまう危険性があります。懐疑論とは、学では何も解決できないという一種の不可知論からくる絶望です。

あなたが回答を提出する日は近いのです。

それが完璧なものでなくても、必ず答えは発信し続ける必要があります。そして、その問題について、固定化した回答があると断言しないこと。これが大事です。

今言ったことがあなたへのカントと私からのメッセージです。

そう、哲学について知っている人なら、次のように言えるでしょう。

カントのこの視点を引き継いだのは、間違いなくヘーゲルです。

だから、また機会があればヘーゲルの弁証法について語りましょう。

哲学的なメッセージのため、難しいところもありましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。平高橋聡でした!

 

純粋理性批判〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
イマヌエル カント
光文社
2010-01-13